2013年3月18日月曜日

純と愛と私との間に横たわる深くて黒い川について


うーん、どうしてこうなっちゃったのかなあ純と愛。
もしくは最初からこうだったのに、私の見方がまちがっていたのかしら。

私、いびつな世界が、不器用な主人公たちによって
いびつながらもゆっくりと変わっていく話だと思っていたのに。
巨大なハンマーで力任せにがんがん叩いて
「ほぉら平らできれいになったでしょ?」と
言われてるような気がするんです、最近。




「お前なんて生まれてこなければよかった」という父親と
夫への不満を娘に代弁させて自分は黙っていることで
やさしいおかあちゃんとしてごまかして生きている母親に
育てられた娘のくるしさ、とか。

「人の本性が見える」「人がくさい」「雑音がひどい」と
世間とつながることができずに苦しむ人たち、とか。

どこにも居場所が無く、古いホテルにたどりついて
やっとそこで生きている人たち、とか。

生きづらさに苦しむ人たちの姿を、おとぎばなしのように
でもしっかりと描いていて
「わー、こういうの朝ドラでやるのって新鮮、すごいな」って思ってたのに。
この人たちは里やの女神さま=おかみさんの元で
ゆっくりといやされて生きていくのかな、って思ってたのに。のにのに。



父親は、みんなに泣きながら見送られてしあわせそーに死ぬし。
母親は、認知症だからもうなんかおっけーみたいなことになってるし。
ふたりともすっごいいい人ってことになってる。え、いつのまに?

待田家の人たちも、子ども交えて話し合ったらみな完治。
子どもには、こわれた家族を元通りにする義務はないし
がんばれば元通りになるなんて幻想だと思うんだけどな。

女神さまだったはずのおかみさんは、行き場がない客をみんな追いだすし。
たいへんなことをすべて「ドラマチックだねえ」と
鷹揚にうけとめていた人が、いきなり、自分がドラマを作るひとになって
何もかも思い通りにしたくなるなんて。どうして?

姉の姿を「悪魔」として描いてた正は
(これ、すごくすごくひどいことだと思うのよ私)
これまたいつのまにか、ハッピーな絵を描く絵描きになってるし。
どこで転換したの?



…まだ書き足らないけど、まあこのくらいにしときます…。

しかし、「まほうのくに」ってなにかしら。
「まほう」ってなんなのかしら。ねえ。



ここまで見たので見届けるけど、最終回、うーん、どうなるのかなあ…。

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